プリンセス・ブライド・ストーリー
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■内容 ジャンル:古典創作、恋愛、考察資料 古典『源氏物語』「夕霧」からの創作。 (1)小説 夕霧×落葉宮 冒頭「1分でわかる夕霧帖」 母とひっそり暮らすことだけを望んでいた姫君が思わぬ降嫁の命を下され、死別した後で夫の親友に懸想される…という昼メロばりの「夕霧帖」をわかりやすく解説! 人を愛するどころか、かかわることそのものに奥手だった皇女が厚かましくて自分勝手ではあるが、一心な愛情を送る貴族にだんだんと心を開いていくお話です。 (2)考察資料 小説を書く上で調べた資料のまとめです。 いくらフィクションとはいえ、地位の高い貴族の娘を妻にしている男が後家とはいえ皇女と結婚するということが可能なのか? 実例として近い何かがあったのか? 実は政治的な動きでもある夕霧の背景とは? また愛情は発生し得たのか? などについての考察資料です。 正直夕霧にはツッコミが追い付かない。 ツッコミまくったのがこれ(https://antarctica.booth.pm/items/99804)です。 ■仕様 サイズ:A5 ページ数:172P(表紙込み) 表紙:モノクロ、PP 装丁:宮美 紙面イメージ(https://www.pixiv.net/artworks/46191501#1) ■発送 あんしんBOOTHパック利用(ネコポス) 匿名配送 ※段ボール補強+ビニールで梱包し、茶封筒で届きます。
はじまり
はじまり 新しい朝が来る。 彼女は、誰にも目覚めを気取られぬように息を潜めた。そうしておいて、寝具の隙間から耳をそばだてる。この時間の空気は鮮烈で冷たい。すぐに太陽の熱が世界を温めるだろうけれど。一日の到来は残念なような、嬉しいような不思議な心持ち。 昨夜のうちに、あきつぎがやってくれたはず、と胸をときめかせて彼女はその結果を待っていた。朝の光は、屋敷の奥まった位置にある彼女の寝所まで少しずつ手を伸ばしてきている。と同時に、広大な敷地のあちこちに潜む小さな生き物たちをも刺激していた。 風に乗る僅かな羽ばたきの音……。お喋りするような囀りのあと、続けざまに彼らの仲間たちがやってくる。 少女は微笑んだ。 季節はまだ優しい……、いまのところは。ひと月もしたら、きっとそよ風すら忍び込めないようしっかりと四方を封じられてしまうことだろう。けれども、今日はまだ風通しのために解放された隙間から外のざわめきを聞き取ることができる。 風に梢を揺らされて青葉はさんざめく。野生の小鳥たちは、思わぬごちそうを前にしていても、はっと一瞬沈黙する。飛び立とうか迷っているのだ。彼女にも、それはわかった。でも、それは自然のいたずら。小さな者たちは、すぐに気を取り直して会話を再開した。 彼女は、雀たちを間近で見たことがない。多くの人には当たり前の光景が、この小さな女の子に対しては厳しく禁じられていている。上流の女なら多くはそうと決められていても、これほど幼いときから徹底している例は、さほど多くはない。 彼女の記憶といえば、油断した小鳥たちが庭でまごついているのを、廂のこちらから、ちらり覗いただけ。もしかしたら慌て者の小鳥が廂に飛び込むこともあるかもしれないけれど、残念なことに十にも満たない彼女の人生ではまだ一度として起きていない。だから、その垣間見は、彼女にとって想像もしなかった喜びになった。もし母更衣に知られでもしたら、はしたないと咎め立てされてしまっただろうけれど、幸運にもそのとき身近にいたのは乳母子のあきつぎひとりだった。 「宮さま、雀がお好き?」 キラキラした瞳で凝視する彼女を目にして、乳母子は不思議そうに首を傾げた。 高貴な生まれである彼女に向かって、そんな風に不躾に質問してくるのは、この幼なじみくらい。彼女は正直に、わからないと首を振った。 見たことのないものだもの、好きか嫌いかなんて決められようもない。でも。 「楽しそう」 忙しない様子は、まるでふざけて遊んでいるようだった。友だち同士がはしゃいでいるよう、と。彼女の感想をあきつぎも気に入った。私も好き、と笑って、今度、小鳥たちをたくさん集めましょう、と誘ってきた。 「どうやって?」 「雀は黍や粟……、たなつものが好物だから、夜のうちに放っておけば朝には気付いて……。ね?」 「そうね……!」 小さい主は、乳母子の思いつきに頬を紅潮させた。名前に秋津を冠するだけあって、この小さな臣民は、ときおり要らぬ茶目っ気を発揮して実母である彼女の乳母に怒られている。叱責は「宮様に悪い影響でもあったら」という心配ゆえだったけれど、それは杞憂だ。彼女からしたらとても真似できないからこそ、幼なじみの言葉は心を揺さぶる。そうしましょう、とふたりは手を取り合い、可愛らしい悪巧みに夢中になった。 数日ののち、首尾良く穀類を手に入れたあきつぎはなんやかやと言い訳を作って簀子に忍び出た。ふだんの行いか、彼女が多少おかしな振る舞いをしていても、「またか」と女房たちは気に留めていない。それに、彼女はうまいこと撒き餌を隠していた。お付きの者たちが邪魔で少女にははっきりとわからなかったけれど、小鳥たちへの贈り物は予定通り庭先に配しておけたらしい。「もう遅いので」と、他の女童とともに彼女の前から下がるとき、あきつぎは大まじめな顔で頷いて見せた。おかげで、彼女はあやうく吹き出すところだった。さらに彼女はすっかり興奮してしまい、その日は夜半過ぎにようやく寝付いたのだった 穀類を啄む小鳥たちの微かな気配……。可愛らしい会合が催されている。彼女とあきつぎの予想したように、小鳥たちはしっかりと贈り物を受け取っていた。 見てみたい。 胸が疼く。 いいえ、だめ。 簀子まで出ているところを見つかりでもしたら、大変な騒ぎになる。彼女は徐々に子どもから大人になろうとしている年ごろだ。不用意に姿を見られるべきではない。 それでも少しなら。 ちょっとだけなら、まだ誰も働きだしてはいない。下男だとて仕事を始めていないのだもの、と彼女は、結局、誘惑に負けた。音を立てずに、するりと夜具から滑り出す。そろそろ身体も大きくなったので、乳母が側に控えているけれど、胸に抱かれているわけではない。だから、逃亡はごく容易に思えた。 静かに、そうっと。 肉体は成長しつつあっても、彼女の心はそれに追いついていない。帳台から抜けようと帳を持ち上げたところ、そこから強い朝日が差し込んで、さっと乳母の横顔を照らした。頬を叩くような強い光にぎょっとして、思わず彼女は布を手放してしまう。 「宮様……、どうなさいました」 一瞬だったにも関わらず、乳母は即座に目覚めて身を起こした。よく気のつく女と、母更衣が誉めた通りに。けれど、今日はその有能さが邪魔だ。 何でもないの、と彼女は慌てて手を振る。 「違うの、あのね……。そのちょっと、小鳥を」 瞬く間に覚醒した乳母は、小鳥? と状況を把握して、まあ、と頷いた。 「ほんに、喧しいこと」 眠気の残る乳母には、ただの騒音だ。そんなことないわ、と少女は思っても口には出せない。理性を持った大人の女は、「しばしお待ち下さい」と彼女を寝具の上に戻してから、外にいる女房に声をかける。 「早くにすまないけれど、宮様がお起きになってしまうわ。騒がしいから追い払ってちょうだい」 違うの! 彼女は息を呑んだ。 止めることなど、どうしてできよう。主筋とはいっても彼女は未だ養育される娘であり、乳母たちはそのお目付役。すべきことと、すべきでないことを決めるのは、彼女ではない。 ぺたりと腰を落とし、彼女は俯いた。大人しくて愛想のよい赤子として生まれた彼女は、最近そうしてじっと堪える場面が増えている。 正直に乳母に言っても、理解はしてもらえない。だって、これは“いけないこと”だから。もしかしたら母上に報告されてしまうかもしれない。きっと母上は彼女にがっかりすることだろう。その想像は、彼女をひどく悲しい気持ちにした。 でも、でも……。 乳母の命に従って青女房のひとりが下女を呼びつけ、小鳥たちを追わせた。抗議のような高い鳴き声を響かせて、彼らは飛び立ってしまう。 二度と来ないように鳥除けの鳴子のようなものでも置きましょうか、などと話している声は彼女にも届いた。 そんなことをしなくても、もう彼らは降りてきてくれないだろう。酷く追われてしまったのだもの。それは、あんまりな裏切りだもの。 彼女は失望した。希望を得て、それから失うのは夢見ているだけよりもずっと惨い、と彼女は学んだ。 まだ早うございますよ、と夜具をめくる乳母に向かって、せめてもに彼女は頭を振る。 みんなにはうるさいのかもしれない。やかましくて煩わしいのかもしれない。でも、彼女には。 同じような姿、同じような声で。 目と顔を合わせて遊んでいる雀たちは……。 とても幸せそうに思えたのだ。
一
山里の静けさは、昨日までと何一つ変わらない。朝方まで、しつこく残っていた夕霧の名残は影も見えない。 木々を渡る山鳥の番つがいがお互いに呼び合う声は同じ声色のはずなのに、昨夜起きた不幸な出来事で胸を潰される思いを味わっている黄葉の宮には、忌まわしさの象徴で しかなかった。 つい一日前には病身の母の身を案じて濡れていた袖が、今は不作法で無礼な男のせいで色が変わっている。 そのことも彼女の気持ちを滅入らせていた。 何かひとつ掛け違えば、兄妹のように慈しみ合ったかもしれない。微妙な距離にいる男君のことを、一度も考えなかったと言ったらウソになる。けれども、彼女らの父君たちは兄弟でありながら、とてもとても遠くにいた。 それは帝と臣下という身分上のものではなくて……。 本質的な違い。 だから、私は母のひとり子で、あの方は左大臣の姫のひとり子。何を思おうと、所詮は無意味な架空のお話……。そんな愚にも付かない空想をしてみたことすら、今は厭わしい。 素晴らしい公達に懸想され、憎からず思ううちに姫君自身も男君を愛するようになり、ある日、彼女は鮮やかな手際で奪い去られる。 物語は、常に彼女とは無縁の世界にあった。和歌に詠まれ、憧れ、恋焦がれ、切望し、公達に盗み出される姫君たち……。そんな女たちを胸に描くことですら背徳感を伴う。誇り高い彼女の母は、軽薄な作り事を嫌っていた。麗しい貴公子たちは、ときに易々と境界を越えてしまうからだ。それは姫にとっては囚われた檻なのだろうが、母にとっては冒すべからざる秩序であり、美徳だった。在五中将の物語よりも長恨歌。催馬楽よりも 高麗楽。和歌はまずは礼儀であって、心を吐露して誘惑するものではない。ましてや、恋情など。 そう教えられ、姫宮として恥ずかしくない立派な女性になるようにと育てられた。 どれほどつらい時期であっても気高い母。彼女は娘の憧れであるとともに、もはや身の一部となっている。 それなのに。 昨日の不祥事を知られたらと思うと、身体の奥底から震えが沸き上がる。それは、夜の闇よりも深い色をした恐怖だ。 どうして、こんなことになってしまったの。そう振り返っても、彼女には到底原因を見つけられない。 「近頃では滅多に見ない立派な方ですよ」 そのように彼の人となりを請け合ったのは、他ならぬ母自身だ。彼女は、それを信じた……。いいえ、と彼女は激しく首を振る。咎を母上のせいにはできない。彼女たちはふたりして騙されたのだ。 父院の弟皇子として生まれ、今上帝にとっても第一の臣である源氏の光君。その嫡男であり、左近衛府を統括する夕霧の大将はこれまで浮ついた噂ひとつなく、実直な人柄で知られていた。前夫が存命だった頃に一条の自 宅にやってきたこともあるのだが、いとこ同士とはいっても皇女である彼女とは直接言葉を交わすこともなく、その場に合わせて丁重に振る舞っていたという記憶しかない。印象といえばせいぜいが、しっかりした方という くらい。むろん、青女房たちは少女らしく美しい公達の訪問にはしゃいでいたし、父君を知っている年嵩の女房たちまであれこれと比較しては物知り顔で批評めいた口を利いていたけれども。彼女自身が心を動かされること はなかった。 むしろ、朱雀院の更衣だった一条御息所と、その女二の宮である黄葉の宮との関わりは、父方の血縁よりも、彼女が彼の親友・柏木の正妻であったことによる。突然降りかかった不可解で不自然な夫の死ののち、彼が施した厚意は枚挙に暇がない……。悲しみに沈んで先々帝より頂いた皇女がいることを忘れがちな舅親と異なり、頼るべき後見をいきなり失って心細くなった彼女たちを何くれとなく支えてくれた。 「とても良いご出自なのにご苦労をなさっている方だから、高い身分の方々にとって対面を保つことがどれほど大切なのか、よく心得ていらっしゃるのですよ」 母の感謝を聞いても、彼女はそんなものだろうか、とぼんやり感じる程度だった。父院からさほど顧みられないとはいっても、やはり皇女である。言葉以上に貧しさを実感するのは難しい。 一世源氏の嫡子であるのに元服後、六位を与えられ、大学で出自の低い者と机を並べたという夕霧の辛労は、彼女にはよく理解できない。筒井筒の関係である北の方と長いこと隔てられていて、何年もかけて結婚の許可を 得たという噂は、辛うじて女房たちの雑談から知っていた。そちらの方は、まだいつかの絵巻を連想できた。 父院が即位してから両親のたっての希望で入内した母は、後見が弱いばかりにつらい思いをしたことが多かったという。もっとも、本人がそうと口にすることはない。古参女房の愚痴混じりの昔話で僅かに漏れ聞く程度だ。 藤氏とはいっても傍流に位置する母一族は、文官として実績を重ねることで先々帝と母后の信頼を厚くした。しかしながら、参議から中納言になってすぐ祖父は流行病で亡くなり、一族の趨勢は母の双肩に掛かることになってしまったのだ。父院は決して女性関係の多い帝ではなかったようだが、それでも一条御息所の立場は楽ではなかったのだろう。自分が支えねばという気負いが良くなったのかもしれない。やがて寵が去った後は、娘を拠り所にし、不平ひとつ言わずに更衣として自分を律し続けていた。 そんな母親が保証するのだから、ときどき感じるこの不安はきっと余計なものなのだろう、彼女は敢えて考えないようにしていた。 実際に長いこと、夕霧の態度は評判と何ら変わることはなかったし、彼の正妻は亡夫の妹ということもあって、まさか疚しい気持ちがあってのことは母子のどちらも夢にも思わなかったのだ。 昨夜、小野の山荘に見舞いという名目でやってきた大将の君は、いつになく色めいた風情を見せた。座を許した廂に留まることなく、問う素振りさえ見せずに御簾の内側に侵入し、彼女を抱きすくめた。 彼の薫香に包まれたときに、親切な大将の君もまた、ありふれた“男”であることに彼女は気付いたのだった。けれども、それはもはや遅すぎた。 ただ、怖ろしかった。 怖ろしくて……。 一方で、彼がそうしたとき、やはり、という思いもちらり過ぎりはした。 季節ごとの催しや決まり事に託けて添えられた文の表に、ほのかに匂う気配……。恋慕と言えなくもないような和歌の風合い……。どういう意図なのだろうと首を傾げるたび、母は「上流の男君とはそういうものですよ。 色づいた物言いも礼儀のうちなのですから」と受け流していた。疑いはあっても、母に思い過ごしと保証されれば、それはそれで安心できたのだ。 憂いに育つほどでもない些細なさざ波。 あれは予感だったのだわ、と彼女はやっとその名前を知った。